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自閉症と発育異常 -恐れなき解決
(上記のインタビューのビデオのサマリーです。一回見ただけなので、ところどころ、違っているかも。スミマセンあと、まだ読みにくい日本語デス。)
生後3か月のころまで、懸命に授乳しようとしても、ミルクや母乳を彼女は拒否しました。この子には何か異常があるといっても、医者は、あなたは、神経質すぎる、心配症すぎる、といって、何の問題もない、というだけ。体重も増えない。私にはほかに三人の子供がおり、子供の育て方には慣れています。でも、この子はどこかに異常がある、と訴えました。
医者は、いろいろ検査しても、異常なところは特にないし、三か月で診断するのは難しいという。それで、知人のつてで他の医者を探して、連れて行ってみると、ここでは栄養失調と脱水症状で危険な状態だといわれました。それで、救急車で運び、入院するようになりました。その時の医者は、あれやこれやの検査をするように、とスタッフに命令していました。これまで、三ヶ月間、どこも悪くない、心配しすぎ、といわれ続けてきたので、心配しないようにして、とにかく診断を待ちました。そのときのドクターは、彼女にあらゆる治療をはじめました。
それまでの彼女は、食べない、以外はどうでしたか、刺激に反応したり、おもちゃで遊んだり、笑ったりしたのですか?
いいえ。完全にひきこもっていて、いつも泣いて、顔を見るのもいやがり、部屋に誰かが入ると、怒って泣きました。
それから3年半、子供は入院を続けるのですが、何か食べるようになりましたか?
まったくうまくいきませんでした。病院では授乳をはじめ、栄養士のチームがついていましたが。結局、彼女を生かすためには、人工的に栄養を与えるしかない、ということになりました。それで、静脈注射とチューブを通して栄養を入れる方法になりました。鼻から胃にチューブを通したのですが、娘はそれを引っ張ってとりました。それで、そのたびにチューブを入れなおすのですが、大変危険なことで、一歩間違うと肺の方にものが入ってしまいます。しかし、娘がチューブを外してしまうので、そのたびにやりなおしました。ある時から、私にやり方を教えて私がやるようになったのですが、大変危険でした。
2歳半のとき、はじめて、拒食症という言葉を言われました。それまで、彼女の病名をなんとするのか、誰も全くわかりませんでした。私も夫も、それはもっと年齢の言った人たちがやせようとしてなるものだと思っていたので、なぜ乳児である彼女がそうなったのか、まったくわけがわかりませんでした。
このようなお子さんの親であることをどう思いましたか?
この子を悲劇と受け止めたことはありませんでした。この子はとても素晴らしいものを持っていると思いました。また、私ができることは何でもしようと思いました。
医者が何の問題もないと言っていた時から、私は、医者よりも自分を信じようと思うようになりました。医者たちは専門家で、私はただの母親です。医者の言うことをそのまま信じなければならないけれども、心の奥では、これはまちがっている。私がこの子の母親で、このことは私が一番よく知っている。私は24時間いっしょなのですから。
あなたは、この間、栄養士や医者たちとミミとの間に挟まれて過ごしたわけですが、どのように感じていましたか?
彼女のもとを離れたら死んでしまうような気がして、片時も気が休まりませんでした。ときどき病室を出て息抜きをしようとしましたが、落ち着きませんでした。でも、外で会う人達には、娘は大丈夫。と言って、自分を明るく保ちました。
チューブを通してもすぐに出してしまうのですね。そのほかに何か試しましたか?
今度は、おなかに直接チューブをつけました。これは、外科的な手術をして通したのです。最初のチューブは娘はやはり引っ張ってとってしまいました。毎日とるので、それを毎日戻しました。中身は豆乳のような栄養剤で、彼女の体が処理できるものを入れていました。しかし、おなかに入れたものを、自分の指を入れて吐き出したりしました。あるとき、この子は、生きることを拒否しているのか、と思いました。そして、私は彼女を強制的に生かそうとしているのではないのか。そして、最終的に彼女が引っ張っても取れないようなチューブをつくって入れました。国中の医者が言ったことは何も当たらなかった。そうやって彼女は生き延びたのです。
どうやって、道が開けたのですか
私は自分で解決の道を探そうと思いました。私は医学関係の図書館に通い始め、医者たちは、このお母さん、何をしているんだろう、と思ったようですが、あらゆる文献を探し始めました。心理学の図書館に行っては、そこで本を片っ端から探し回りました。そこでバリー・コーフマンのサンライズの本に行きあたりました。そして、心の奥底で、「これだ。これしかない。」とわかったのです。
この本は、ベアーズ夫妻が、息子ローンとともに何時間も何時間も過ごして、ローンを治した、という話ですが、この本のどこが決め手となったのですか?
私は、とにかく、最高の専門家、最高の医師のもとに子供を連れて行きましたが、誰も娘を理解できなかったんです。望みがないと言ったし、死ぬのは時間の問題とも言った。
御主人とも相談しましたか?
はい。主人とも相談しました。彼は、支えてくれて、私の信じる道を行きなさいと言ってくれました。
人々の中には、家族に何の問題もなく、幸せな人々に限って、「施設に入れて、忘れてしまったら?」ということを言う人もいました。でも、「私にはできない。実際、そうする人たちのことを裁いたりはできないけど、私はそうしたくない。」と言い続けました。
それで、バリー・コーフマンに連絡をとったのですね。
はい。電話しました。しつこく。「あなたは娘のために何かできるはず。あなたのところに連れて行きたい」と言いました。
そこで、コントラバーシャルな解決にいたるわけですが。バリー・コーフマンを紹介します。
ポーラがサンライズの本に行きあたったのは大変よかったのですが、最初にポーラが電話したとき、どんな話だったのでしょう。
そのお話をする前に、私たちが去年からマサチューセッツの山合いの場所に、医者や専門家から、私自身と同じように見放された人々(望みがない、治らない、植物状態になるといわれたような)をケアするところを開きました。
この偉大なる女性が、偉大なる望みを持って、心をもって、電話してこられ、「この子を死なせたくない。私はありとあらゆることをやってみた。あなたなら何かできるはず。」と。さて、お電話では何の話だったのか、という質問ですが、私が聞いたのは、あらゆる人がこの子に力づくで食べさせようとしている、ということが最初でした。それまで、誰も、彼女に、選択権を与えていなかった。そして、そうするためには、あなたの態度そのものを完全に変えなければなりません、と言いました。彼女を生かす必要がある、と考えるかわりに、この子供に、生きるかどうかの選択をさせるのです。と。
最初にミミを見たとき、どうでしたか?
小さな女の子。目の下には黒いクマがありました。大変やせていて、ほとんど四歳だったのですが、2歳半ぐらいの、人形のような、小さな女の子でした。反応がないかんじで、人を見ますが、口をきかない。物を持っても、遊ばない、なにか、薬を飲んでいる人のようにも見えました(薬は飲んでいなかったのですが)。まるで、反応するのをやめたような。特に、栄養に対して、反応するのをやめて、食べるのを拒絶していました。
最初にこの子に何をしたのですか?
最初にこの子にしたことは、お母さんの態度を見直したことです。なぜかというと、彼女のパニック的な部分、心配、緊張感という態度について、オプション式の質問をしました。私たちは15人ぐらいのスタッフで、交替でミミとかかわりました。何時間も、週七日、一日8時間。互いのセッションを見守り、話し合い、親に対するカウンセリングも並行して行いました。週一回全員が集まって会議をして、ミミの現状はこうだから、こういう方針で行こうと話し合いました。
子供に最初に何をしたか、という質問でしたが、最初に、このおさな子と絆を結ぶことでした。ミミは母親も、父親も知らなかったのです。彼女は、自分自身の世界の中に迷い込み、外界からむりやり生かされていた存在でした。(自閉症的だったのですか)部分的に自閉症的、拒食症もありました。たぶん、拒食症の方がもっと深刻だったと思います。実際、そのために死んでいくところだったのです。6,7か月の時に、治療をしていなければ、たぶん、今ここに彼女はいないでしょう。
私たちは、愛と受容をもったスタッフのローテーションを組んで、彼女に何かを強要するのではなく、絆の関係を結ぶことを最重要としました。彼女を刺激して私達の世界に来たいと動機づけるのです。考えてみてください。この小さな体に、人々は何をしましたか。押さえつけて、チューブを入れて、食べ物を押し込んでいたのです。彼女は完全に犠牲にさせられていました。私たちが望んだのは、彼女に、この世のコントロールができることを示すことでした。彼女にその力を返してあげる。そして、少しずつ、この世の要素を紹介すること。
それを前もってポーラに説明したのですか?
ベアーズ:はい。
たしかに、理にかなっていますね。どう思いましたか?
ポ:本当に理にかなっていました。彼女は生涯操作されていました。やっと彼女は、愛と、受容を手に入れたのです。
べ:そして、ポーラにとってとても重要だったのは、ミミの部屋に入るとき、「たとえミミが死を選択しても、自分は大丈夫。それを受け入れよう」という心を持てるかどうかということでした。
私たちスタッフは、そういう完全な受容を持って入りましたが、ポーラにとって、それが可能かどうか、が重要でした。これは、残酷に聞こえるかもしれません。実際、私たちは食事をもってミミのところへ行きましたが、心の中では「あなたの選んだ方に私もお付き合いします。食べても、食べなくても」という気持ちでした。私たちは、基本的に彼女に食事を持ってきて、「この食事を食べなくちゃダメよ」とか「食べさせなくちゃ、食べさせなくちゃ」と思うのではなく、「食べてもいいのよ。そして、もし、ここにいたくないなら、それでもいいのよ。あなたがどこへ行っても、あなたを愛している。あなたが自分で選んでいいのよ。大丈夫よ」と言いました。そうするうちに、あるとき、初めて、彼女は小さく切ったバナナをつまんで、口にいれ、噛んで、飲み込んだのです。
誰が一緒だったのですか?
ベ:何人かでやっていましたから。私は窓のところにいて(片方からは見えるようになっています)、そして、ポーラは階下にいました。彼女は、飛んで上がってきて、そして、みんなで歓声を上げました。なぜなら、これがミミが実際初めて自分の選択で食べ物を入れた瞬間だったからです。どうやって食べるかも知らない子供が。あなたは、コントラバーシャル(問題の多い、議論の多い)と紹介しましたが、ミミや他の私達のもとに来る子供たちには、全部、理由があるのです。
ミミの一日はどんなふうに流れていたのですか?
ベ:そのときは、三時間ずつのシフトで誰かが入って行きました。そこでは、ミミが一人で部屋の中を這いまわっておかしな声をあげていました。スタッフも同じようにそばで這いまわり、おかしな声をあげました。三時間。次の者が入ります。突然ミミは、おもちゃを手に取り、壁に向かって頭をゆらゆらとし続けながら、おもちゃを手の中でいじくっています。スタッフは、同じように頭をゆらしながら、おもちゃを自分の手の中でいじくります。次のものが入って、「愛しているよ」と言い、同じ動きをして寄り添います。そうやって、5,6日、やりました。とても時が過ぎるのが速く感じました。そうしたとき、ミミが横目で自分と同じ遊びをしているスタッフを見ました。そこで、スタッフが目の前にくるようにして、もっと直接的なやりとりをはじめました。
ここで私たちが目指したのは、絆の関係であり、信頼関係です。ミミがここに至るまで、誰もミミにさわらない、操作しない、寝かせようと強要しない、起きることを強要しない、食べさせようとしないでいました。ミミにこの小さな世界をコントロールできることを知らせ、そこで絆をつくって、それから私達の世界にも誘うのです。ミミがそうするまでにたったの15,16日しかかかりませんでした。それまで四年間、彼女はすべてを嫌がって拒絶し続けていたのに、です。
何もしない、というのは、体を洗ったり、服を着せたり、は、どうしたのですか?
ベ:ミミは、おむつをしていましたが、おむつを着るのをいやがりました。それで、おむつをはずしておきました。彼女は這いまわりながら落として回るので、それをふき取りながらすごしました。この小さなお人形のような子供を侮辱して、100ポンドもあるいい大人が、「食べなくちゃだめ!そうしたらだめ!」というのではなく、彼女中心に愛を与えるのです。
最初、あなた以外のスタッフに娘さんは心開いたのですが、あなたはどう感じましたか?
ポ:最初は、気分よくありませんでした。私にはまだ心を開いていなかったので。でも、自分を信じて、そのすべてを受け入れるようにしていました。ある日、娘が腕をのばして近づいてきて、私にキスをしてくれて。そして、やっと、私が嫌いじゃなかったんだ、とわかりました。私が彼女の周りでもっていた感情が問題だったのです。
さあ、バナナの小さな切れ端をとって食べたミミですが、その後どうなったのですか?
べ:ここ23日間、彼女は調子の良さを持続しています。チューブからの摂取をしていません。ちょうど、先週の土曜日の朝食のとき、なんでも、好きなものをあげられるように、いろいろそろえてあったのですが、まず、ピーナッツバター&ジェリーのサンドイッチ、おせんべい二枚、全粒パンのトースト、コップ一杯のジュースを食べました。そして、食べ終わったとき、この小さなお人形のどこにそれだけのものが入ったの?と言ったぐらいです。本当によく食べていて、食欲、と言えると思います。また、もともと言葉が全然なかったのですが、今は、ポーラの手を取って「ママ」と言い、トイ、ブランキー(ブランケット)と言います。3か月半から4か月で。人間関係のやりとりができるのです。全く違った人間として。彼女は愛されてこの世に戻ってきたのです。
ミミが、家族や他の兄弟姉妹たちとかかわり始めたのはいつですか?
ここに娘二人を連れてきています。7才と5歳です。ミミが食べるのをみました。信じられなくて、飛びまわっていました。ミミは反応しました。そして、遊びました。手と手をとって。これまでできなかったことでした。ミミが願うので背中に乗せてお馬さんしたり、食べさせたり、姉が、お口あけて、というと、口をあけて食べさせてくれます。この世でもっとも素晴らしい、そういう気持ちです。
今もそこに自閉症の治療をしている家族がいるのですか?
べ:はい。現在もそこに住んで過ごしている家族たちがいます。自閉症の子供の家族、脳性マヒの子供の家族その他です。基本的に、私たちは、親たちが子どもとかかわれるように導きます。また、ガンを抱えている人やその他の問題を抱えている人々がいますが、彼らの精神と態度で、これらの問題を乗り越えていけるように、機械的なことではなく、精神、霊性、あらゆるものを動員するように、しています。
先ほど聞いた医者たちに、ミミの発達はどう見られたのでしょう?
驚いたことに、このくらいにはなると思っていた、とか、しかし、長続きはしないでしょうとか、言われました。私や、このできごとに、とても懐疑的です。
ベアーズ:二つ理由があると思います。ひとつ目は、彼らの勧めた医学的処理をしていないこと。二つ目は、親たちに対処するように教えていること、が問題だと思うのでしょう。
今後どうなりますか?24時間ついて甘やかしますか?
私は未来の心配はしていません。彼女は、完全に食べて、しゃべって、その他もろもろなんです。私たちがポーラに教えてきたことや、毎日教えていること、やっていることについて、とても、喜んでそうしているし、今後もそうありつづけるでしょう。
多くの費用がかかったかもしれませんが、いかがですか。大変じゃありませんか。
まったく、いやじゃありません。感謝しています。
ミミの話を聞かせてくれてありがとう。今日はありがとうございました。