1/11/2010

怒りなきパワー 1-2

「怒り」なきパワー

http://www.option.org/media.php?mediatype=video&mediaid=1&part=0

ローン・コーフマンの講義パート1-2

そこで出てくる質問はこうでしょう。では、「怒り」なく、強くあり、意思を強くして、欲しいものに向かう事は可能ですか?欲しくないものをはねつけることは可能ですか?私たちがパワフルで強くあり、かつ、怒りや不満をまったく感じないで、何かを手に入れるために進んでいくことは可能ですか?

ひとつ、目をつぶって想像してください。ここにある薬品が発明されました。一本の注射に入っています。この薬を注射すると、あなたは、生涯「怒り」を感じなくなります。一回だけの注射で、あなたは、完全に怒りから解放されます。無料です。副作用もありません。気分悪くなったりしません。あなたは、「はい」と答えるだけでいいのです。これから一生あなたが怒りを感じることができなくなるのです。

では、質問です。あなたは、それを、打ちますか?これから死ぬまで金輪際怒りを感じなくなります。

よく考えて下さい。

私が聞いた人たちの大体の答えはこうです。「怒りが少なくなるなら、絶対打つ。怒りを制御できるようになるなら、絶対打つ。」誰もがそれがいい。しかし、完全に完璧にアンガーフリーになりたいかというと、皆、一歩引く。どういうこと?たとえば、周りの人が私に嫌がらせをしたり、何をされても怒らない?ドアマットみたいになる?私の大事な人々がそうされたりしたときにも怒らない?それはどうしましょう。と。なにかしてほしい、しないでほしいとき、怒りを使わないで、それに立ち向かう。全く怒りを使わないことに躊躇するとしたら、その躊躇する理由はなんでしょう?

怒りを使う事ができないなら、強くあることができない。パワフルであることができない。反対派に立ち向かう事が出来ない。なにかしてほしくない、とはっきりと表現することができない。。。と信じているからです。

これらのことをなすことができなくなる。時には怒りを発動しなければ。あるときは、怒りを放つことがバカなことで、効き目がなく、しかも、危険で、不健康だ、と言いながら、ちょっとぐらいは取っておきたいという。そういったことを理解していくと、いろんな問題を理解できるようになります。

こう聞く人もいます。誰かが自分を踏みにじる、暴力をふるってくる、誰かが、違うように行動してほしいとき、などはどうでしょう?たしかに、渋滞の中で怒っても、どうしようもないでしょうけど。誰かが私の害になることをしてきたとき、どうしますか。

本当に、全く怒りなしで、完全に幸福感にたったとき、もっともっとパワフルになります。

私たちの研究所に「エンパワーユアセルフ」というプログラムがあります。5日間のプログラムですが、そこでは、パワフルで、自分の望むものを望みきる。そしてかちとる。「怒り」や他の形の不快感なしで。完全に幸福感に基づいてそうすることができるようにするプログラムです。

ちょっと考えてみて下さい。あなたは、よりよく、より強く、しかも、望みが手に入る。「怒り」や様々な「不幸感」なしで。。。すごいと思いませんか?

世の中にはアンガーマネジメントのプログラムがいろいろあります。これを用いて、怒りをやわらげたり、コントロールしたり怒りを解決したりできるようになります、といいます。もし、あなたの本当の望みが怒りの解決でないなら。と。つまり、どうしても怒りをなんとかして取っておきたいわけです。怒りは我々が強くパワフルであるための道具であるという信仰があります。

それで、エンパワーユアセルフのプログラムでの参加者とのセッションは大変おもしろいものです。これは、本当にやさしい理論を教えるような授業ではありません。飛び込んで、押し合って、もみあって、あなたが望みを手に入れるように挑戦させる、クラス全体を巻き込んで。不快感なく、望む。そして手に入れるために、あらゆる方法を伝授します。

たとえば、夫や妻が時間通りに帰ってこなかったとき。本当にはっきりと、しっかりと、真剣に話すのです。これは自分にとってはだめだ。こういうところを変えてほしい。と言う。心を快適に、力強く、はっきりと、幸福感を持って言う。不快感と怒りを持って、ではなく。覚えていますか?怒りは、パワーレスの立場で出発しています。

五歳児に早く寝るように言うときも、です。私たちが「怒り」を使って動かそうとしているのを彼らに教えているようなものです。もっとも大事なことは、怒りを使うのは、最弱の方法なのです。子供たちに対する時もっていたいのは、怒りではなく、真に力強く、明確な態度です。

ところが、こういう人がいます。もし怒らなかったら、だれでも好きなことをやらせるという事?殺人、レイプ、薬物、なんでも許すわけ?誰かがあなたの家を壊したり、あなたを傷つけたり家族を殺したりしてもいいわけ?全くそういう意味ではありません。まだ多くの人々が私たちの言う戦略を使いたがらないのは、そういう意味にとらえているからです。つまり、そうしたら、自分はドアマットのようになって、何をされても何もできない。世の人々に暴力や破壊を許していることになると。

それでは考えてみましょう。誰かが殺人を犯しました。それでも、犯人を牢屋に入れることができます。私たちが望む結果をもたらすことができます。子供に早く寝ようと何度言っても寝ない。それは私にとって悪い。と言いますが、それは望むことをあきらめましょうというのではありません。あなたの望みは捨てずにあなたの子供に対する願い、大事な人たちとの関係は捨てずにいることができるし。犯人を監獄に入れることができるし、それを怒りを使わずにやれるのです。

そこがカギです。愛する人のために力強い行動をしない、ということではありません。「怒り」を使わないで成し遂げるということです。

それでは、怒りがどこから来るか、について、書きとめてあります。怒りを作る三つのビリーフについてです。世の中に暴力と困難を作り出すビリーフ(信条、信じ込み)があります。

1.怒りは私に仕えており、力をくれる

2.私が怒らなかったら、私はドアマットになる。(いじめられっ子で誰からも尊敬されていない人)

三番目は本当に面白いもので、プログラムの間中現れます。

3.不正・不公平 (これは怒りを作り出すべきもの。生来怒りを持って対されるべきもの)

不正・不公平は、間違ったもので、悪いもので、よく聞こえるのは、「私にはもっとよい対応があってしかるべき。私はこんなものじゃない。」「母はそんなことをされる人じゃない。なぜ母がそんな目にあわなくちゃいけないの。あんなにいい人が!」この中のキーワードは、deserve です。ふさわしい。値する、など。それが不公平の観念の一部です。

それでは、議論点に入ります。不正・不公平は、パワフルな概念です。不正・不公平のビリーフ構造、そして、それに燃料を与える感情、すなわち怒り、それらは、テロリズム、暴力、戦争へと導くものです。子供に対する、同僚に対する、あらゆるものに対する不正・不公平への怒りです。

私たちが日常的に用いているビリーフ構造は、テロリスト、暴行犯、戦争仕掛け人たちが用いるのと同じものです。これらのことを行おうと思ったら、不正・不公平に対するためには怒りしかない、と信じることです。そうしなければ、あなたは、足で踏まれるだけであり、だからこそ、絶対に信じなければならない。不正を矯正するために暴力を使う。暴力を使わずに不正に対抗することはできますか?もちろんです。「怒り」なしでやります。不正・不公平は、怒りの中心的創造者です。だからといって、すべてあるがままでほっておけというのではありません。

私たちの議論は、「怒り」を使わなければ、世界を変える、家族を変える、仕事場の状況を変える、周りの人たちを変えるのに、そして、自分を変えていくために、あなたはもっとパワフルになります。怒り・不快・嫌悪感でなく、力、パワー、明確性の立場から行けば、です。

ベアーズもプログラムの中で言うのですが、「独善」「ひとりよがり」の死。独善・独りよがりは、内的平安にはいられない。独善は、不正概念からきます。そして、「値する」という概念からきます。それは内的平安の欠落へと導きます。したがって、独善・独りよがりの死を手に入れれば、内的平安を手に入れられることになります。

End of Part 1