1/11/2010

「怒り」なきパワー

「怒り」なきパワー

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ローン・コーフマンの講義パート1-1

今日の議題は、大変私たちの文化、アメリカのみならず、世界的な文化に深く根差していることです。それは、「怒り」と、それがどのように見られているか、ということです。

怒りは文化的に特別な価値をもっています。強く、大胆で、パワフルに見えます。恐れや悲しみと比較してどうでしょうか。アンガー・マネジメントなどを教えている教室もあります。しかし、この社会で怒りがどのように見られているかを考えると、夕方のニュースやその他のメディアでもよく取り上げられますし、なにかと話題にものぼります。「昨日、オレ、もう、ぶちキレたんだよ!」とか話しますが、では、「昨日は一日中怖くて、心配で動けなかったんだ。この話、しようか」とかいう話題を取り上げますか?「心配や恐怖」で面白い話ができますか?私たちが話をしたいのは、「キレて、怒って、カンカンになった」事柄です。そちらの方がカリスマがあります。それには理由があります。どうしようもなく起こるのではありません。ちゃんと理由があります。

理由のひとつは、怒りが、力の顕示として見られているという事です。ところで、私が「怒り」というとき、激怒とか烈火の怒りのみをいうのではありません。多くの種類の怒りがあります。不満を感じるのも怒りのひとつです。いやがるというのも、柔らかいタイプの怒りです。嫌がっているとき、幾分、怒りが入っていると思います。そういったあらゆる怒りは、この文化で力の顕示としてみなされます。多くの力や爆発を見せるために、私たちは、「怒り」を使うのです。老若男女問わず、これが古今東西で奨励されてきました。

ここで見ていきたいのは、実際、「怒りは力の顕示ではない」ということです。怒りは、「力がないと考える人による力の要請」です。力がないと思えて仕方がない人が、力をくれ、力が欲しいと言っていることをいうのです。

たとえば、5歳児が怒って「キャンディ頂戴よ!!もう!!早く、キャンディ!!」と言うとき、この子には、キャンディを手に入れる力がないので、その力が欲しいわけです。この5歳児を見て、パワフルだと思うでしょうか?いいえ。「やっぱり、駄目だよ」と言えるわけです。しかし、時には、大人がうるさがって、「ああ、もう!わかったよ。あげるよ」とキャンディをあげたりします。そこで、賢い少年少女は学ぶのです。「これは人々を動かす!」と。我々の周りの世界を動かすことができる!と。そのあたりから、「怒り」は私たちを引き付けるようになります。

このように、怒りは、力の顕示ではなく、力が足りない人の力の要請です。これは重要なポイントです。あなたが怒りをもつ時、それは自分が「パワーレス」(力がない、力が不足している)状態であり、「パワフル」(力がある、力がみなぎる)状態ではないときです。それで、怒りを通して力を見せつけたいと思うが、実際は、弱さをみせつけている。

それでは、そういう時、自分に聞いてみることがあります。「怒りを持つ意味、怒りからの利益として何かがほしいのか」ということです。これを聞いている皆さんは、「まさか!それがないからここへ来てセミナーを聞いてるんだ。もう、不満や怒りを感じたくない」と言われるかもしれません。ただ、それでも、「怒り、不満」をまだまだ感じるという場合、それは、自分になんらかの利益があるからです。ただ、今まで考えたことがなかっただけです。「怒りに利益なんてないよ!」というあなた、それは、我々の研究所でいうところの、「ウソ」です。あなたは「ウソツキ」です。

「怒り」を使っているというのは、そこに、利益があるからです。私たちは、不合理に、自分がおかしくなって怒るのではないのです。合理的に、理由があって怒るのです。それによって、何かを得たい、それによって、誰かを動かしたい、やめさせたい、そうさせようとしてやっていることです。

たとえば、誰かと映画に行く約束をしていたが、彼らが遅れて帰ってきたという場合。「ちょっと~今までどこにいたのよ!ずっと待ってたのよ!」「仕事で遅くなって・・・」「仕事で?私は1時間半をあなたのために台無しにしたのよ。もう映画にも行けないし。なんで仕事があるのに、こんな約束したのよ。」それで、私たちは、いやになって、その人を叱りつけたり、いろいろするかもしれません。しかし、私たちは、欲しいものを手に入れようとしている。その人に、早く家に帰ってほしい。あるいは、彼らに、自分が間違いだったとわからせたい、「ごめんなさい」と謝ってほしいなどなど。それを得るために怒りを入り口として使っている。彼らを動かそうとしている。怒りは彼らをよく動かすかもしれないが、我々自身をも動かします。つまり、怒りをもって、自分自身を動機づけて、心を怒りで満たして自分を動かして、相手を反省にもっていくために怒りを爆発させようとする。

こういったあらゆる場合で、そこから何かの利益を期待している。ここが重要ポイントです。なにかの利益のために怒っている。いくつかのパターンを考えてみたのですが、時には、大変明確に相手が変わる場合があります。「子供に怒鳴ったら、子供が言う事を聞く」たとえば、子供に、「寝る時間だよ。もう寝なさい」と何回か言って、聞かなければ、「おい!寝ろって言ってるんだよ!」と怒鳴る。それに対して素直な子供は「パパとママは真剣だ!もう寝なくちゃ!」となるかもしれない。それで、子供を動かす。明白な利益です。

しかし、中には、はっきりと出て来ない場合があり、この研究所で人々とダイアローグをやって楽しく探っていくのですが、一対一のダイアローグで、その謎のベールを一つ一つとっていくとわかってきます。ある人とダイアローグしていて、彼女は、夫とよくケンカすると言います。夫に不満があり、怒りを感じています。彼女は、夫にモノを頼むのですが、彼はそれをやってくれない、約束を守らない、約束の時間に帰ってこない。それで、夫に怒鳴り、叱り、なんでそうしてくれないの!なんであなたに合わせなくちゃいけないの!なんで聞いてくれないの!なんで怒らせるの!という。それで、聞きました。「そしたら、どうなるんですか?」そしたら、夫は約束の時間に帰ってくるようになるのですか、と。このケースでは、夫は変わらないのです。やっぱりゴミを出してくれないし、約束の時間に帰ってこない。

彼はもっと嫌がる。あるいは、言い返す。そして彼女はもっとエスカレートして言い返し、さらに夫はもっとエスカレートして言い返します。そして、最初は、ゴミだし、のように小さな事だったのですが、最後には、全面戦争みたいになっています。「それで、怒りによって、私は何の利益もないでしょう」と彼女はダイアローグで言いました。「夫を動かそうとしているのに、彼は動かない。それでも怒りがあふれます。それは不合理ですね。利益がないのに何度も繰り返すのですよ」

ダイアローグの中では、何か利益があるはずで、怒りによって何が起こるのかをよくよく探っていましたが、なんと、次のようなことが出てきました。彼女は最後のベールを見つけてとってみると、利益は、彼が行動を変えるということではなく、ケンカそのものが利益だった。。のです。ケンカそのものが利益。誰がケンカを利益として求めるんでしょうか?それはこうです。このダイアローグしている彼女にとっての利益があったのです。彼女がゴミを出してほしい、時間通りに帰ってほしい、と思った理由は、彼女を思ってくれているサインとして、自分を大事に思ってほしいから、でした。そして、そうしてくれないから怒り、彼も怒りだし、ケンカをする中で、彼が私を思ってくれていることを実感できる、というのです。ケンカの中で彼が実際に真剣に言い返しているのをみると、彼は私を大事に思ってくれていることがわかる、と。

このように必ず理由があります。十分な質問をすれば、わかります。子供が寝てくれる、などは、明白な理由です。しかし、本当はケンカがしたかった、などということを知るためには、問いかけがもっと必要なのです。理由を知ることは大切です。理由がわからないとしても、かならず理由があります。「わけもなく怒る」ことはないのです。隠喩的なものや、「けんか」そのものが利益である場合もあります。みんなを遠ざけて一人になれる、とか。「そんなのは利益じゃない」という人もいるかもしれませんが、ある時、ある人にとってはそれが理由となる。怒ったら、みんなを遠ざけるいい理由になる、そうすることが許される。「必ず理由がある!」声を大にして言います。

この研究所でのあらゆるプログラムで、かならず一人はいます。「怒りに対する利益がみつからない」という人が。それでも、よくよく探ると、必ず理由、利益がみつかります。必ずです。怒る、嫌がる、不満がる、これには常に理由があります。

つづ~く~